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叡山電車 修学院駅(しゅうがくいんえき)歴史年表

修学院駅(しゅうがくいんえき)は、京都府京都市左京区山端壱町田町にある叡山電鉄叡山本線の駅。駅ナンバリングはE05。

開業当時は現在より約100メートル北側にあり、駅出口は現在駅前にあるプラザ修学院の裏の道に面していて、ここが駅前通りとなっていた。駅構造、配線等は現在とほぼ同じであった。駅業務ならびに運輸関係の事務所は駅西側、現在の北山通あたりにあり、駅前通を挟んで離宮道との間(現在の京福マンションの位置)にも事務所や倉庫があった。東側のホーム裏(現在の北山通の位置)は車庫裏というべき場所で、草むした線路の上に廃台車や部品が放置されていた。

修学院駅の年号

1925年(大正14年)9月27日:京都電燈(京都電燈株式会社)が経営する叡山電鉄平坦線の駅として茶山駅開業

1941年(昭和16年)配電統制令のより発送電部門と配電部門の譲渡命令が出された

1942年(昭和17年)3月2日:京都電燈(京都電燈株式会社)が鉄道事業を京福電気鉄道に譲渡。京福電気鉄道叡山本線の駅となる

1942年(昭和17年)

3月2日 京福電気鉄道株式会社設立。京都電燈の鉄軌道事業を継承。

4月1日:京都電燈(京都電燈株式会社)発送電部門を日本発送電に譲渡、配電部門を関西配電と北陸配電へ継承して清算に入る

8月1日 鞍馬電気鉄道・三国芦原電鉄を合併。鞍馬線、三国芦原線とする。

1944年(昭和19年)京都電燈(京都電燈株式会社)清算が完了した

1949年(昭和24年)

12月11日:京都市電東山線から山端駅(現宝ケ池駅)までの乗り入れ運転開始。この乗り入れは、京都競輪場(宝ヶ池競輪場、現宝が池公園こどもの楽園)への観客輸送のためのもので、競輪開催日にのみ実施された。
乗入運行は京都市電の1000系が使用され、低床車であったため市電側の停留場(双方向とも交差点南側に設置)を使用した。
乗り入れ廃止後に市電南行の停留場は交差点北側に移設され、4方向とも交差点手前で乗降を行うように改められている。

1955年(昭和30年)9月1日:この日限りで京都市電からの乗り入れ運転を終了。乗り入れ廃止後も、連絡する渡り線は長い間残されていた。

1964年(昭和39年)1月5日:京福電鉄鞍馬線電車衝突事故発生。

1970年(昭和45年):北山通の開通により南に100メートルほど移動

1978年(昭和53年)10月1日:京都市電が廃止。東大路通交差点を踏切に変更。この後の市電軌道撤去工事にて、残っていた渡り線の一部を完全撤去(双方のポイント部分等は比較的早期に撤去されたが、中間部分の一部や道路の舗装に隠れた部分はこのときまで存在していた)

1978年(昭和53年)10月19日 叡山本線・鞍馬線のトロリーポール集電をパンタグラフ集電化。

1985年(昭和60年)7月6日 叡山電鉄株式会社を全額出資の子会社として設立。

1986年(昭和61年)4月1日:京福電気鉄道が叡山電鉄に鉄道事業を譲渡。叡山電鉄の駅となる